亡くなった人が喜ぶこと12選と、今日の自分にできることの選び方

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亡くなった人が喜ぶことは、特別な供養や、決まった作法をやり遂げることではありません。

「何かしてあげたいのに、何をすればいいのか分からないまま、また今日も一日が終わった」

何をすれば喜ぶのかを知りたい気持ちの下には、たいてい、いま自分がしていることでは足りていないのではないか、という引け目があります。

亡くなった人が喜ぶこととして語られてきたのは、今日の暮らしのなかでできる12の行いです。どれも、その行いにその人の名前が入っていれば成立します。

今日できる5つ、数日のうちにできる4つ、これから続けられる3つ、そのなかから自分に合うものを選ぶ問い、話しかけていいのか、泣いてもいいのか、仲が良くなかった場合。この順で答えます。

読み終えたころには、何をすればいいのか分からないまま一日が終わることも、一覧を上から消化して足りない気がすることも無くなります。今できるのは、その人の名前を一度、声に出して呼ぶことです。

目次

亡くなった人が喜ぶこと12選の早見表

12の行いは、始めるまでにかかる時間で3つに分かれます。今日すぐ手がつくものが5つ、日をあらためて用意するものが4つ、これから長く続いていくものが3つです。

亡くなった人が喜ぶこと向いているとき
名前を呼んで報告する今日、何か一つだけしたい
好きだった食べ物を供える買い物に出る用事がある
好きだった音楽をかける声に出すのはまだつらい
写真を見える場所に置く思い出す回数が減ってきた
愛用していた物を使う遺品に手をつけられずにいる
思い出話を誰かにする話せる家族や友人がいる
好きだった場所へ行く家にいると気持ちが沈む
手紙を書く言えなかった言葉がある
命日や誕生日に一つ決める日付が近づくと落ち着かない
くせややり残しを引き継ぐ長く続く形にしたい
遺品を使う人へ渡す物が増えたまま止まっている
自分が笑う時間を作る楽しむことに引け目がある

上から順にやり遂げる一覧ではありません。今日の自分に一つ選ぶための表として使ってください。

【今日できる】亡くなった人が喜ぶこと5つと語られてきた理由

今日のうちに手がつく行いは5つあります。どれも、家の中にあるものと、自分が覚えていることだけで足ります

名前を呼んで今日あったことを報告する行い

名前を呼んで今日あったことを報告する行いは、12のうちでいちばん早く手がつきます。呼び名は、その人だけに向けられた言葉です。ほかの誰にも向かない語だからこそ、名を呼ぶ行いは、昔から相手をその場に招く形として語られてきました。

報告する中身は、大きな出来事でなくて大丈夫です。天気のこと、食べたもの、今日会った人の話で足ります。手を合わせるときに一言添えるだけでも、その日の報告は成立します。

今日の一歩は、今日あったことを一つだけ声に出すことです。

好きだった食べ物や飲み物のお供え

好きだった食べ物や飲み物のお供えが真っ先に挙げられてきたのは、食べ物がその人の体を通っていたものだからです。だから味の好みは、いちばん個人に張り付く情報として語られてきました。何を供えるかで迷ったら、味の好みを思い出してください。甘いものが苦手だった、濃い味が好きだった、その記憶を知っているのは家族と近しい人だけです。

品物の値段や決まりごとよりも、「あの人ならこれを選ぶ」という一点のほうが中身になります。

今日の一歩は、買い物のついでに、その人が好きだったものを一つだけかごに入れることです。

好きだった音楽や番組が同席と呼ばれてきた理由

好きだった音楽や番組をかけることが同席と呼ばれてきたのは、音が、同じ時間を一緒に過ごしていた記憶をそのまま連れてくるからです。同じ曲を聞くこと、同じ番組を見ることは、席を並べる形として語られてきました。

声に出して話しかけるのがまだつらい時期には、この行いがいちばん負担の少ない入口になります。部屋に流しておくだけで、その時間は成立します。

今日の一歩は、その人がよく口ずさんでいた曲を一曲だけ流すことです。

写真を見える場所に出しておく意味

写真を見える場所に出しておくことには、日常のなかにその人の席を作るという意味があります。写真をしまい込むのは、悲しくなるのを避けるためです。顔を見る回数は、そのまま思い出す回数になります。

飾る場所は、仏壇でも棚でも、スマホの待ち受けでも同じです。目に入る場所であることのほうが効いてきます。

今日の一歩は、写真フォルダから一枚だけ選んで、しばらく見ることです。

愛用していた物を日常に戻して使う行い

愛用していた物を日常に戻して使う行いは、関係がまだ続いている形として語られてきました。使い込まれた道具には、その人の手の当たり方が残ります。湯呑みの持ち方、ペンの減り方、タオルのたたみ方。持ち主の手の記憶が残っている物を、そのまま自分の手が使い続けます。

遺品に手をつけられずにいるなら、この行いは片づけの手前から始まります。一つだけ、自分の日常に戻して使うところが入口です。

今日の一歩は、その人が使っていた物を一つ選んで、今日の自分の生活で使うことです。

【数日のうちにできる】亡くなった人にしてあげられること4つ

日をあらためて用意する行いは4つあります。相手や場所や紙が必要になるぶん、今日すぐには終わりませんが、そのぶん残るものが大きい行いです。

思い出話を誰かにすることで戻ってくるもの

思い出話を誰かにすると、忘れかけていた細部が戻ってきます。一人で思い出すのと、誰かに話すのとでは、出てくる中身が変わります。人に話すときは細部を説明することになるので、しまい込まれていた具体まで引き出されます。語られる限り、その人の輪郭は薄れないと語られてきました。

話す相手は、その人を知らない人でも成立します。知らない相手のほうが、説明する分だけ思い出す量は増えます。

数日のうちの一歩は、家族か友人に、その人の話を一つ聞いてもらうことです。

故人が好きだった場所へ行くという行い

故人が好きだった場所へ行く行いは、一緒に出かける形として語られてきました。場所は、記憶を丸ごと保管しています。同じ景色の前に立つと、その景色を一緒に見ていた時間が戻ってきます。

遠出は要りません。よく通った店、散歩していた道、待ち合わせに使っていた駅の改札。日常の範囲にある場所のほうが、行く回数を重ねられます。

数日のうちの一歩は、その人とよく行った場所を一つ思い出して、次の休みに立ち寄ることです。

言えなかった言葉を手紙にする方法

言えなかった言葉は、手紙にすると出てきます。間に合わなかったこと、間に合わなかったこと、謝りたかったこと。文字は、行き場のなかった言葉の置き場になります。

便箋でなくても、メモ用紙でもスマホのメモでも同じです。宛名にその人の名前を書いた時点で、その手紙はもうその人だけのものになります。

数日のうちの一歩は、宛名を書いて、書けるところまで書いて止めることです。

命日や誕生日にすることを先に一つ決めておく利点

命日や誕生日にすることを先に一つ決めておくと、当日は決めたことをするだけで済みます。日付は、その人にしか結び付かない数字です。命日、誕生日、お盆が近づくと落ち着かなくなるのは、この数字に毎年触れているからです。

その日が来てから何をするか考えると、迷っているうちに一日が過ぎます。好きだった食べ物を買う、写真を出す、名前を呼ぶ。前に挙げた5つのどれかで足ります。

数日のうちの一歩は、カレンダーにその日を書き込み、横にすることを一言だけ添えることです。

【これから続けられる】亡くなった人が喜ぶこと3つ

長く続いていく行いは3つあります。今日で終わらないぶん、年月が経つほど効いてくる行いです

くせややり残しの引き継ぎ方

くせややり残しは、形をそろえるのではなく、中身を真似る形で引き継げます。「行きたがっていた場所へ行く」「途中だった趣味を続ける」だけが引き継ぎではありません。味付けの加減、洗濯物のたたみ方、電話に出るときの第一声。そうした小さなくせも、立派な引き継ぎです。

引き継がれるのは形ではなく中身のほうだ、と語られてきました。自分の手が同じ動きをした瞬間に、その人がいた時間は自分の生活のなかで続いていきます。

続けられる一歩は、その人のくせを一つだけ選んで、自分の日常で真似ることです。

遺品を使ってくれる人へ渡す意味

遺品を使ってくれる人へ渡すことには、その物が誰かの日常で動き続けるという意味があります。物は、誰かの手のなかで使われているあいだ、生きた道具のままでいられます。使う人のいなくなった道具が、別の誰かの日常で毎日動き出すことは、手放すこととは別のこととして語られてきました。

決めるのは、全部ではなく一つで足ります。渡す相手の顔が浮かぶものから動きます。

続けられる一歩は、その人の持ち物を一つ思い浮かべて、それを使ってくれそうな人を一人挙げることです。

自分が笑っている時間が供養と呼ばれてきた理由

自分が笑っている時間が供養と呼ばれてきたのは、楽しかった日にあった出来事が、次に手を合わせたときに話す中身になるからです。「残された人が幸せに生きることが供養になる」という言い方も、よく聞かれます。

出かけた先で見たもの、笑ったこと、迷って結局入らなかった店。それも、その人に向けて報告できる話が一つ増えたということです。

続けられる一歩は、今日笑ったことを一つ覚えておいて、次に手を合わせるときに話すことです。

12のうち、自分に合うものを選ぶための3つの問い

12のうちどれを選ぶかは、次に挙げる3つの問いで決められます。決めているのは行いの種類ではなく、そこにその人の名前が入っているかどうかだからです。

知らない人に配るお土産は、誰が受け取っても困らない無難なものを選びます。家族に買って帰るお土産は、あの人が甘いものを食べないと知っているぶん、選ぶものが変わります。12の行いも、この違いで選び分けられます。

  • その行いを、別の人に置き換えても同じように成り立つか(成り立たないなら「はい」)
  • 今日の自分の手で、最後まで終えられるか
  • やっているあいだ、その人の顔か声が浮かんでいるか

3つのうち2つに「はい」がつくものが、今のあなたに合う行いです。

名前が入っている行いと入っていない行いの違い

名前が入っている行いと入っていない行いの違いは、同じ形の行いのどこに、その人しか知らない中身があるかです。同じ「花を供える」でも、その人が庭で育てていた花を選んだ瞬間、それは他の誰の行いとも違うものになります。同じ「線香をあげる」でも、あげながら今日あった出来事を報告するなら、そこにはその人にしか話せない中身が入ります。

名前の入り方は、日々のなかで見つかります。好きだった味の濃さ、よく座っていた席、口ぐせ、手紙の宛名の書き方。行いの形が同じでも、この部分が入っているものを選んでください。

良い思い出でなくても選んでいい理由

名前が入っているかどうかは、記憶の良し悪しとは関係がありません。あの人が嫌がっていたこと、苦手だった食べ物、言われて嫌だった一言も、その人にしか当てはまらない情報です。

覚えているのが苦い記憶であっても、その記憶は、その人を一人の個人として覚えていることの証拠になります。

手が止まったら、今日はやらないという基準

いつやるかは、故人ではなく自分の手が決めます。思い出そうとして手が止まる日は、まだその記憶に触れる時期ではないという合図です。今日は、そこで手を止めてください。

12のうち一つも選べない日があっても、その日の分が減るわけではありません。名前が入る行いは、思い出した日にいつでも始められます。

亡くなった人に話しかけてはいけないと言われる理由と言葉の選び方

亡くなった人に話しかけることは、昔から禁じられてきた行いではありません。問題にされてきたのは、言葉が引き止める形になっているときだけです。

避けられてきた言い方に共通していた形

避けられてきた言い方に共通していたのは、語そのものではなく、相手をその場に引き止める形になっていることでした。「行かないで」という一言は、駅のホームで言うのと、自宅の部屋で言うのとでは意味が変わります。毎日同じ言葉で呼び止め続ける形、自分を責める言い方で繰り返す形が、そこに当てはまります。

言ってはいけない言葉を一つずつ覚えるより、自分の言葉が引き止める形になっていないかだけを見てください。報告する言い方、礼を言う言い方は、どちらもこの形から外れます。

泣きながら話しかけてもいい理由

泣きながら話しかけたときも、言葉の届き方は変わりません。涙が出ているかどうかで中身が薄まることは、語られてきた言い伝えのどこにもありません。

声にならない日は、心の中で名前を呼ぶだけで足ります。

遺影や遺品に触れることへのためらい

遺影、位牌、その人が使っていた物に触れることをためらう人は少なくありません。触れ方の作法よりも、触れたくなる気持ちの側に意味があります。

触れたくなるのは、その人がまだ一人の個人として自分の中に残っているからです。手が伸びたときは、そのまま触れてください。

亡くなったあとに遊びに行くのは不謹慎か

遊びに行くことは、不謹慎ではありません。行った先で見たものは、次に手を合わせたときに話す中身になります。

出かけずに家にいた日と、出かけて笑った日を比べて、どちらかを減点する数え方は、亡くなった人が喜ぶこととして語られてきたものの中には出てきません。

泣くことや悲しみが続くのは故人の妨げになるのか

泣くことも、悲しみが長く続くことも、亡くなった人の妨げにはなりません。悲しみは、大切な人を失ったときに起きる自然な反応だからです。

「悲しみが深いと妨げになる」と言われてきた事情

「悲しみが深いと妨げになる」と言われてきたのは、前を向いてほしいと願う周りの人が、そのために使ってきた言い方だからです。悲しんでいる本人の側から出てきた言い方ではありません。

言われた側は、悲しんでいることそのものを自分の落ち度として数え始めます。悲しみ方を採点する物差しとして、この言い方を自分に当てないでください。

涙が出ることに霊的な原因を付けない理由

涙は、その人の情報が濃く残っている場所に触れたときに出ます。好きだった歌、使っていた食器、通った道。そうした場所に触れると、涙は自然に出てきます。それは警告でも、何かのサインでもありません。

涙そのものについては、亡くなった人を思い出すと涙が出る意味でも詳しく取り上げています。

泣ける日と泣けない日の差の見方

泣けない日があっても、気持ちが薄れたわけではありません。思い出す回数が減ることと、その人の名前が入る行いができなくなることは、別のことです。

涙の回数と、あなたの気持ちの深さは、そもそも別のものです。

故人と仲が良くなかった場合にしてあげられること

故人と仲が良くなかった場合にできるのは、感謝を伝えることではなく、覚えていることを一つ選ぶことです。名前が入っている行いは、良い関係だった人だけのものではないからです

感謝から入る供養が当てはまらないとき

確執があった人、介護に疲れ切っていた人、言えなかった言葉を抱えたままの人には、感謝や愛情から入る書き方はそのまま当てはまりません。無理に感謝を作り出そうとすると、そこで手が止まります。

12の行いのうち、手紙を書く、名前を呼んで報告する、好きだった食べ物を選ぶの3つは、感謝がなくても始められます。

恨みや後悔が残っている場合の選び方

恨みや後悔が残っている場合は、良い思い出のほうからではなく、覚えている具体のほうから選びます。その人の名前でしか埋まらない具体は、良い思い出とは限らないからです。苦手だった食べ物、言われて嫌だった言葉、避けていた話題。それも、その人にしか当てはまらない情報です。

覚えていること自体が、その人を一人の個人として扱っていることになります。書きたいことが恨みごとであっても、宛名がその人になっている手紙は成立します。

何もしない期間があってもいい理由

何年空いても、覚えている中身が減ることはありません。空いた期間の長さと、覚えている具体の多さは、別のものです。

思い出そうとして手が止まるなら、今日はやらないという基準は、ここでも同じように使えます。

亡くなった人からのサインを探したくなるときの見方

サインを探したくなったときは、探し方より先に、何を確かめようとしているのかを見てください。「今どうしているのか」「そばにいるのか」は、こちら側から確かめる手立てのないことだからです。

サインを探し始めると苦しくなる仕組み

探して見つからないと、自分の感じ取る力が足りないからだと思い込みやすくなります。見つからない日があるのは、感じ取る力の問題ではありません。現れる側の都合は、こちらからは見えないままです。

その日にサインが無くても、12のうち一つをした日は、その人の名前が入った日として数えられます。

夢に出てこないことを「拒絶」と読まない理由

夢に出てこないことを拒絶と読まないほうがいいのは、その読み方をすると、夢に出てこない人だけが損をするからです。夢に出るかどうかは、相手の気持ちの表れとして語られがちです。

会えた証拠は、夢だけではありません。ふとその人の口ぐせが自分の口から出た日も、同じだけの意味を持ちます。

虫・鳥・匂い・電気が故人と結び付けられてきた理由

虫や鳥、匂い、電気の明滅が故人と結び付けられてきたのには、共通点があります。どれも急に現れて急に消えるもの、説明がつきそうでつききらないものだという点です。

蝶が横切る現象についてはアゲハ蝶が横切る意味、線香の匂いについては線香の匂いがする意味、電気が勝手につく現象については電気が勝手につく意味で、それぞれ詳しく取り上げています。

12のうちどれを選ぶかは自分で決められますが、選んだ理由を聞いてくれる相手は、たいてい自分しかいません。決めたことを一度声に出して外に置くだけで、頭の中で回り続けていた迷いが止まることがあります。事情を知らない相手だからこそ、遠慮なく話せることもあります。

【時期別】亡くなった直後から数年後までにしてあげられること

同じ「してあげられること」でも、選びやすい行いは時期によって変わります

時期この時期に選びやすい行い
亡くなった直後写真を見る、音楽をかける
四十九日前後名前を呼んで報告する、好きだった食べ物を供える
一年後から数年後思い出話をする、くせを引き継ぐ
命日・お盆・誕生日前もって決めた一つをする

亡くなった直後に選びやすい行い

亡くなった直後に選びやすいのは、手を動かさずにできる行いです。何も手につかない時期だからです。

写真を見ること、音楽をかけること。その2つが、この時期の一日分になります。

四十九日前後に選びやすい行い

四十九日前後に選びやすいのは、名前を呼んで報告することと、好きだった食べ物を供えることです。区切りの日が用意されていること自体が、何かしたい気持ちの置き場所になってきました。

日程や手順を細かく気にするよりも、その日に一つ、名前が入る行いをするほうが中身になります。

一年後から数年後に選びやすい行い

一年後から数年後に選びやすいのは、回数を増やす行いではなく、記憶が残る形にする行いです。この時期は、思い出す回数が減ったことに罪悪感を覚える人が少なくないからです。

誰かに思い出話をする、その人のくせを自分の生活に取り込む。どちらも、記憶を自分の外側に置いておく行いになります。

命日・お盆・誕生日に選びやすい行い

命日・お盆・誕生日に選びやすいのは、前もって決めておいた一つです。日付が来るたびに何かしたくなるのは、その数字がその人にしか結び付かないからです。

亡くなった人は、年月をかけて一人ひとりの名前を離れ、ひとまとまりの存在になっていくと語られてきました。ここまで書いてきたのは、その手前の、まだ名前で呼べる段階のことです。

亡くなった人が喜ぶことのスピリチュアルな意味のまとめ

亡くなった人が喜ぶこととして語られてきたのは、今日できる5つ、数日のうちにできる4つ、これから続けられる3つ、合わせて12の行いです。決めているのは行いの種類ではなく、そこにその人の名前が入っているかどうかなので、12に載っていない行いでも成立します

12のうち今日の自分に合うものは、「別の人に置き換えても成り立つか」「今日の手で終えられるか」「その人の顔か声が浮かぶか」の3つで選べます。2つに「はい」がついたものを、今日の一つにしてください。

一つも選べない日が続いているときは、その日のうちに決めきらず、誰かに話してみるという道も残っています。

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